No.16 
花を飾り、お菓子とケーキとお茶を用意して。アンジェリークとロザリア、ふたりの女王候補は深夜のお茶会を開く。
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明日への扉



 会場は言い出した側の責任として、アンジェリークの部屋になった。
「本当は自分で焼けばよかったんだけど、時間がなくて。買ってきちゃった」
 アンジェリークの特技はクッキー作りだ。
 上質な小麦粉と新鮮な卵、黄色いバターを主として、さくっとした口当たりからふわりと舌の上でとろけるものまで。“家伝のレシピ”だという材料の配分や混ぜかたを少しずつ変えることによって、彼女は様々なクッキーを焼くことができた。プレーン、アーモンド、チョコレート、紅茶に珈琲、シュガーに抹茶などトッピングを併せると、その世界は無限に広がる。
 腕前を振えなかったことを申し訳なさそうにするアンジェリークに、ロザリアは手にした硝子皿の覆いを取ることで答えた。
「私も、ばあやの焼いたものだけど」
「わ! ばあやさんのケーキ! おいしいのよね……!」
 粉砂糖で飾られたたっぷりと胡桃の入った茶色いケーキは、実のところロザリアのリクエストだった。アンジェリークの表情がぱっと明るくなる。物心つく前から側に在り、愛情を注ぎ続けてくれた相手の得意料理を褒められて嬉しくないはずがない。ロザリアも自然と笑顔になる。
 テーブルの中央の花瓶には、飛空都市の花が生けられている。生態系から切り離されたこの地に芽吹くのは、原種に近い植物だ。砂糖とは異なるみずみずしい甘さをふんだんに放っている。
 クロスはおろしたてのレ―ス。三段のケーキスタンドには、それぞれマカロン、サンドイッチにフルーツがふんだんに盛られている。冷やされたシャンパンにフルートグラス。柄が透かし彫りになったカラトリ―。紅茶を注がれる時を待ち、前もって温められているティーセットはワイルドストロベリー柄だ。
「あら、素敵!」
 ロザリアが感嘆の声をもらすと、アンジェリークが得意げに胸を張る。
「日の曜日に庭園に来ている商人さんのところで買ったの。
『こいつは掘り出し物だ。元々セットだったんだが、今は二客しかないのでその分お買い得だぜ』ですって。取っておきにしておいたの、丁度よかった!」
 二人はどちらともなく目を見交わした。そして、笑み崩れる。
「それじゃあ、はじめましょうか」
 ――その一言を合図に、女王候補のパジャマパーティーははじまった。

「アンジェリークったら」
「ロザリアこそ!」
 食べて飲んで、たくさんの話をした。
 あまりに色々なことがあったので、胸に大切に仕舞い込む前にこぼれ、笑い合い、度が過ぎて涙をこぼすお互いの姿を一番記憶することとなった夜だった。


 話すことがつきる前に、お腹がくちくなる。眠りヒュプノスがおとずれる。
 あくびが連続したのをきっかけに、名残惜しくもお開きを決める。
 片付けは明日にしましょう、と食べ残しを含めたティーセットには覆いをかぶせた。目をつぶる寛容さも時には必要だ。
 ランプをともし、部屋の明かりを落とす。
 寮のベッドは、少女二人が寝転んでも十分な広さがあった。各々羽の枕に頭を預ける。ラベンダーの香りが、ロザリアに自室とは別の部屋にいるのだという気持ちを思い起こさせる。けれど、心地よくまぶたが重くなる――
「おやすみなさい」
 やさしく告げても答える声はない。さっそく夢をみてるのかしら、よい夢だといいのだけれどとうつらうつらしながら思う。と、返ってきたのは小さくしゃくりあげる声だった。
 ロザリアは身を起して掛け布団を引きはがした。現れたのは、翡翠色の瞳から大粒の涙がこぼれる様だ。
「アンジェリーク……?」
「だって、明日にはわたしたち」

 それ以上聞く必要も、言う必要もなかった。
 誰に告げられたわけでもなく、また言葉にはしないけれど、二人ともが肌で感じていることだった。
 明日には――朝日が昇る頃には――新たな宇宙の女王が決定する。
 最初に二人並んで《扉》を開けた。緊張で指が震えていたことは、隣にいるお互いだけが知っている。そんな二人のうち、どちらかひとりが選ばれ、時の流れの異なる聖地で聖なる御座に就く。
 代々の女王陛下や守護聖様方がそうされてきたように、故郷の家族や友人たちと永遠に決別する――寮でのこの暮らしにも。

「馬鹿ね。女王候補となった時点であらかじめ分かっていたことでしょう。覚悟を決める期間も十分あったはずよ」
「そうだけど……でも……」
 ――そのはずなのに、大きな喪失感が胸を占めるのは何故なのだろう。
「まったく、あんたって子は本当に泣き虫なんだから。そこだけはずっと変わらなかったわね」
 掛け布団を掛け直し、ロザリアは横になった。
 布団の中で、アンジェリークのあたたかい手を引いて握る。
「……ロザリアはずっとやさしいね」
「あんたのためじゃないわ。私がそうしたいだけ」
「ふふ……」
 涙の跡が残る頬をふと引き締め、かしこまった面持ちでアンジェリークは言った。
「あのね、ロザリア。わたしロザリアに言いたいことがあるの。今じゃなくて明日。ちゃんと、伝えるから」
 ロザリアは目を瞠る。彼女もまた、同じ気持ちだった。
「私もよ、アンジェリーク」
「じゃあ、また明日……ね?」
「また明日」
 二人は今度こそ、目を閉じて眠りにつく。
 つないだ手と交わした約束があれば、不安や畏れに捕らわれる隙はなかった。


 翌日、《神鳥の宇宙》に第256代となる女王が誕生した。女王は、自身と試験を競ったもうひとりの女王候補を女王補佐官とする。
 ――夜が明け曙光が差す。長いひとつの歴史のはじまりであった。
fin

アンジェリークとロザリアのデュエット「素敵になろう」を念頭に置いて書きました。肝心のパジャマパーティーがあっさり目なのもそのため(お互い、試験中に恋する相手がいたのかどうかはご想像にお任せします)。一部ですがこちらで視聴できます。
なお、商人は例のあの方のつもりでした。

2019.12.02
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