No.113 
日野香穂子は、リリの暴走で魔法をかけられた吉羅暁彦と出掛けることに。放課後デートの成果ははたして!? #気が向いたらかくリクエストボックス
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放課後は不健全



 ――放課後。
 日野香穂子の手には、地元のフリーペーパーがあった。
 日野っちー、今から帰りー? と部活ウェア姿の同級生に呼び止められ、手渡されたのだ。
「うちのクラスは、もう見終わったから!」
 海外の新聞紙のようなざらざらとした粗い紙質。洒落たデザインと充実した記事、読み物が人気で入荷しだいすぐに姿を消すため、一部では幻と呼ばれている代物だ。
 星奏学院の二年生の間では、幸運にも入手できた者が、厚意で閲覧に回すという暗黙のルールが出来ていた。読みたい人だけが読み、手放したい人が手放す。何人もの人の手を経て来たせいで、多版刷り風の桜とメジロのイラストがあしらわれた表紙は少しくたびれているが、それも味わいのアクセントとなっている。
 香穂子は、何気なくページをめくった。まっさきに、目に飛び込んできたのは。
「……《デート》、かあ」
 思わずもらしたひとりごとだったが、意外なところから反応があった。
「おお、お前はそういうのが好みなのか」
「うん、いい季節だよね」
「我輩、心得たのだ!」
《我輩》などという時代がかった物言いをする人物(?)の心当たりは、一つしかない。
「リリ?」
 香穂子は周囲を見回した。
 星奏学院内に住まう妖精の声はすれども、姿は見えない。
「そういえば、学内コンクール参加の礼もまだだったのだ。
 ――我輩、お前の願いを叶えるのだ! 日野香穂子」
 千の鈴を鳴らすような、黄金の杖をふるい魔法が発動する音。香穂子は反射的に、ぎゅっと目をつぶった。
「楽しみにしているのだー!」
 声はドップラー効果のように遠ざかる。
 ……しかし、なにもおこらない。
 おそるおそる目を開け確認してみる。香穂子の身に、目立った変化は何もない。
 香穂子は、フリーペーパーの紙面に目を落とし、金の粉を撒くようにして妖精が向かった軌跡の先を思った。
 まさか。まさか、まさか、まさか!

 午後からの研修のため、職員室や校長室が並ぶ校舎の一角は、普段以上に人気がない。廊下を小走りに駆ける姿を誰に見咎められることなく、香穂子は目的地の前に立った。
 理事長室の扉を素早くノックする。
「失礼します。吉羅理事長……?」
「……その声は日野君か」
 扉越しにくぐもった声が返ってきた。
「はい、日野です!」
「廊下には誰もいないかね」
 よかった、とほっとしたのもつかの間、吉羅暁彦からはいささか不穏な質問を投げかけられる。
「はい」
「……ではこれから、五秒を数えて入室したまえ」
 ゆっくり五までを数え、一秒の余裕を持った上で、覚悟を決めて「失礼します」と香穂子は扉を開けた。

「吉羅理事長……ですか?」
 香穂子が、身体をすべり込ませるようにして入室した理事長室では、一人の人物が指を組んで机に着席していた。じっと強い眼差しで射られる。威圧感を感じるポーズだ――ただし、普段ならば。
「……アルジェントの仕業だ」
 むっとした顔で言う吉羅の声は、香穂子の記憶にあるものより少し高い。甘いラインを描く頬。組んだ指や爪も、見慣れたすらりと長いそれからすると丸く感じる。吉羅の面影がある少年、いや、吉羅が高校生くらいの姿に若返っているのだった。
「日野君、あれ・・が突然現れて言うには、これは君に対する《礼》だと。どういうことなのか、説明してくれるかね」
 予感は当たったようだった。
「リリの勘違いなんです。
 出てきて、リリ! 魔法を解いて! 私がデートしたかったのは吉羅理事長じゃないから!」
 前半は吉羅に、後半は空中に向かって呼びかける。ところがリリは姿を現さず、吉羅は低い声を――大人の吉羅よりは幾分か高いトーンだったが――を出す。
誰と・・、デートに行くつもりだったのかね?」
「天羽ちゃんと冬海ちゃんですけど……?」
 即答する香穂子に、吉羅は目元を覆った。何かいけなかっただろうか? と香穂子は考える――が悠長にそうしている場合ではないと思考を切り替える。
 何度か呼びかけるものの、リリからは返事すらない。もしかしてまた具合でも悪いのかな、と不安が段々と増す。
 香穂子の眉が下がるのを止めたのは、こほんという吉羅の咳払いだった。
「大体の事情は分かった、日野君。あれ・・は大方、合わせる顔がなく出てこられないのだろう。気にしないでおきたまえ。付き合いが長い私が断言しよう」
「だったら――安心しました」
「だがひとつ、困ったことがある」
「え?」
「魔法とは我々が思っている以上に融通がきかないものだ。事実はどうであれ、アルジェントがそう思って魔法をかけたのなら――私と君とがデートをすれば、目的がかなったと判断される。このふざけた魔法は解けるだろう」
 香穂子が望むデートの相手として、私を思い浮かべたのはアルジェントとしては上出来だ、と吉羅は思う。仲の良い友人女子は別として、他の誰にも譲りたくないポジションだ。大きなお節介の気配は感じるけれども。
 その際、現代社会の倫理を珍しく、本当に珍しく考慮した点も評価しよう。白昼堂々、理事長という立場にある大人とその学校に通う女子高生が、理由もなく連れ立っていることが許される世の中ではないのだ。だから、吉羅の姿を香穂子に合わせて若返らせたのは、理解できる。
「だが、私がこの格好では――」
 魔法は実に中途半端だった。変わったのは吉羅の身体のみ。衣服は、今朝選んだスーツのままだ。
 さすがに、布の中で手足が溺れるというような事態には陥っていない。「着用」はできている。
 しかし、吉羅のスーツは年に一度採寸を行い、オーダーメイドで仕立てたものだ。高級布地のスーツを余らせて着ている少年の姿は、さぞかし滑稽で人の目をひくことだろう。
「……そういうことなら。ちょっと待っていて下さいね」

 理事長を飛び出していった香穂子は、ひらりと音楽科男子の制服を一式抱えて戻ってきた。
「……追い剥ぎ?」
「違いますっ! ちゃんと借り物です!」
 香穂子は慌てる。もちろん、吉羅とて本気で言っているわけではなく、あまりに帰りが早かったので驚いただけだった。
「事情を分かってくれる、校内に残っている人……って考えて、志水くんに借りてきました。放課後はいつも、練習室に残っているので。さすがに替えの制服は持ってきていないそうなので、体操着に着替えてもらって。そのまま帰宅はできないので、下校時間までには返してください、ということです」
 よい判断だ、と吉羅は思った。最速にして最善の解決策だろう。だが、吉羅が取った行動は、制服を受け取り、小首をかしげて青色のタイを自分の首元に当ててみることだった。
「なるほど――《先輩》、と呼んだほうが? 日野君」
「か、からかわないで下さい!」
 頬を赤く染める香穂子に笑いをこらえながら、吉羅は着替えのため、給湯室を兼ねた隣室の小部屋に移動した。

   *

 香穂子が、他の男(の服)を抱きしめている姿を見るのが不快で、奪うように受け取ったものの。借り物の衣服を身に着けた状況というのは、吉羅が思っていた以上に居心地が悪いものだった。
 畳まれた制服には、丁寧にネクタイピンまでもが添えられていた。きちんとアイロンが掛かったシャツを羽織った吉羅は、香穂子の判断の正しさをまたひとつ知ることになる。
 ……袖が若干余るのだ。志水より大柄の、二年生男子の制服を持って来られたらどうなっていたことか。
 吉羅はひっそりと嘆息した。
 やれやれ、この苦行から一刻も早く解放されたいものだ。

 財布から紙幣を抜き出し、ポケットに。少し考えた末、高校生には不相応な愛用の腕時計は外す。着替えを終えた吉羅を待ち受けていたのは、手を叩いての香穂子の大絶賛だった。
「わ、すごい、よくお似合いですね!」
「同じ制服を三年以上着用している。卒業生なのだから当然だよ」
「サイズも、ちょうどいいみたいでよかったです」
「……ああ」
 それはあまり触れられたくない部分だ。
「日野君、この後なのだが」
 話題を変えた吉羅に、香穂子は「そうでした!」とフリーペーパーの特集記事を開いてみせる。
「公園のお店に、新味のアイスセットが出たんです。春限定のフレーバーで。
 これを見て《いいな》と私が言ったのが原因なので、ふたりで食べれば《デート》したことになって、きっと元通りになると思います!」

 吉羅と香穂子は、少しの時間をおいてそれぞれ理事長室を出た。
 冬日和をいいことに、制服にマフラーだけを巻いた姿。香穂子の二回の出入り同様、見とがめるものは誰もいない。
 ふたりは並んで、校内を歩く。
「こんにちは、日野先輩!」等、話しかけてくる生徒の姿もあったが、香穂子が軽く手をふって応えると満足した面持ちで、隣にいる吉羅の存在にはて? と首をひねりながら立ち去るのが常だった。
「人気者だな」
「春のコンクールのおかげです、吉羅理事長……あっ」
日野先輩・・・・
 最初に口にした時は冗談だったのだが、考えを改めた。吉羅という名字は珍しい。正体が知られる、もしくは偽の一年生として露見することを避けるべく呼ばないように、そうですね、と取り決めした直後だった。香穂子はもごもごと口ごもる。
「……暁彦くん」
 そうだそれでいい、と吉羅は笑む。
「暁彦くん、暁彦くん、暁彦くん」
「何度練習するつもりかね」
「せっかくなので噛みしめておこうかな、と……暁彦くん?」
 ほぼ同じ背の高さのため、香穂子のはにかむ顔をダイレクトに浴びてしまう。吉羅はまたもや、目元を覆う羽目になった。
 そんな話をしているうち、校門に移動している。
 吉羅は、校外にさっと足を踏み出した。当然、続いてくるだろうと思った香穂子は、なぜか立ち止まっている。
「どうかしたのかね」
「……いままで、ここで見送られたり、出迎えられたりということはありましたけど、一緒に出るというのがはじめてで。新鮮で」
 やはり、他人からの借り物の衣服は居心地が悪い。
 けれど、「嬉しいです」とそっと付け加えられた呟きに、さっさと用件を済ませてしまおう、という考えを吉羅は放り投げた。
「学院の寮の庭に、早咲きの桜がある。道路からも見える位置だ。例年通りなら、そろそろ咲きはじめている頃だろう」
 吉羅は手を差し出す。
「せっかくの《デート》、なのだから」
「はい!」
 弾むような足取りで、香穂子は隣へとやってきた。

   *

「これは赤花満作」「あちらはストック」
 目にとまる木や花の名前を教える。かつて、そうやって吉羅と通学路を歩いたひとのように。
 CDショップではジャケットにひかれた新譜を試聴し、ショッピングモールのパネル写真展で、印象的な部分を指差し語り合う。映画館の大判のポスターの前では、お互いの好きな俳優が被っていることが判明した。
 雑貨屋では衣服や文房具、日用品が賑々しく並ぶ様に圧倒されながらも、吉羅はブロンズカラーのクリップを買い求めた。

 海の見える公園にある目的の店は、遠目にも分かるくらい流行っていた。
 行列に並ぶこと、二十分。
 香穂子の当初の希望通り、カップアイスとホットドリンクのセットをそれぞれ注文する。
 支払いの際に少し揉めたが、「先輩が後輩に奢ってもらうのは変だよね?」という香穂子の有無を言わせぬ一言で割り勘になった。
 テイクアウトのアイスは、たっぷり歩いて話をした後のあたたまった身体に丁度よかった。潮風が吹き、肌寒いと感じた時は飲み物を飲む。そうして両方とも、あっという間に平らげてしまう。
「寒い中冷たいものをあえて食べるからいいんですよ!」という主張に「そういうものかね」と懐疑的な吉羅だが、香穂子はまたしても正解だったわけだ。

 徒歩での移動距離は、車と比べておのずと限られている。費用も掛かっていない――今日ここまで吉羅が支払ったのは、面目ないことに自分の分の代金だけだ。
 やれやれ、なんて健全なデートだろう、と吉羅の中の大人の部分が自嘲する。
 その直後、いや、と吉羅は思い直した。
 敬語がやわらかくくだけたものになる。
 ただ、手を繋いで一緒にいる。
 それだけで、胸が高鳴る。

 ――これは、十分不健全の範疇だ。

   *

 星奏学院理事長室の机。その一番深い引き出しには、「有事のために」と除湿剤と共に革靴が一足、保管されている。靴のサイズが合わず、急遽丸めた紙屑をつま先に詰めてしのいだことがあった、その時の反省を生かしてだ。
 ――理事長である吉羅本人が履くにしては、ひとまわり小さいサイズなのであるのは、持ち主だけが知る秘密だった。

fin

#気が向いたらかくリクエストボックスより、吉羅理事と香穂子さんのデート。
リクエストありがとうございます。お待たせしました!
デートの前振りの部分が長くなりましたが――あの、セレブさが庶民(私)に書けるのか!? と悩んだ末の若返りです。裏テーマが、シンデレラだったのですが、理事長のガードが固くて靴を脱いでは下さらなかった(彼が姫側です)という大人、いやそれを言い訳にしてはいけませんね、創作上の事情がありました(笑)。
何かと落ち着かない昨今ですが、気軽にお出掛けできる日常がはやく戻ってきますように。

2020.04.07
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