No.111 ☆ 「先輩、付き合ってください」「え?」 志水桂一に誘われて、買い物に付き合う日野香穂子だったが……。 ✍ 2,066 jacket:https://www.pixiv.net/artworks/60986525 |
「先輩、付き合ってください」
星奏学院の衣替え期間がはじまり、長袖と半袖、普通科と音楽科、四種類の制服が混在している。そんな頃。
顔をあわせるなり突然、志水くんが言った。私は、たっぷり五秒は考え込む。
……聞き間違いかな。だとしたら、何と取り違えた可能性がある……?
……考えるけれど、あせって頭は働かず、何ひとつ思いつかない。
志水くんとは、先の学内コンクールで知り合った。
音楽科の一年生、専攻はチェロ。最近では自分で作曲もするようになり、時々一部を聴かせてくれたりする。深みのある、素敵な音楽を奏でる人だ。年下だということは関係ない、私の尊敬する人のひとりだ。
その演奏はたゆみない努力――本人は自身が納得がいくまで、たとえ睡眠時間を削っても練習することを当たり前だと思っている――の上に成り立っている。授業中だか休憩中だかを眠ってすごしているという話も聞くけれど、長く重たげなまつげの分、余計眠たげに見えるということもあるのかな、と思う。今は放課後ということもあって、澄んだ瞳がぱっちりと見開かれている。
まなざしとその人の奏でる音は、不思議と似ている気がする。どちらも本人からうまれるものだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないけれど。
私よりすこし高い位置にある、吸い込まれそうな思慮の色。
……などと、ゆっくり見とれている場合ではなかった。
「え?」
ようやく発することができたのは一言、たったの一音。返事とは呼べない返事だ。
志水くんは、そんなぽっかりと不自然にあいた「間」を気にはしなかった。
「なにか用事がありますか?」
あ、ああ、付き合うってそういう意味……! 勝手に勘違いしてしまうところだった、これは恥ずかしい……!
内心、頭を抱えてもんどりうつ。伝わっていないといいのだけれど。
私は照れ隠しにオーバーに手を振った。
「大丈夫、大丈夫。今日はもう、帰るだけだから」
「一緒に買い物に行ってほしいんです。ほしいものがあって。僕一人では選べないので」
「いいよ」
♪
志水くんといえば音楽、という思い込みが私にはあったらしい。一緒に行く先は楽器店かな? ほしいものって楽譜? という予想はあっさりと裏切られた。
前もって店の目星は付けていたらしい。志水くん(とお供の私)は、迷うことなく雑貨店へと足を踏み入れる。
「お手に取って、開いてみてくださいね」
店員さんがにこやかに声を掛けてくれた。熱心に見入る姿がよっぽど印象的だったのだろう。
「だって。せっかくだから試してみる?」
「はい」
お店の一角。広く開けた場所を選んで、志水くんは手にした傘を上に向ける。
棚や机にディスプレイされた商品をなぎ倒さないよう、勢いがつかないように。ワンタッチボタンを押しながら、半手動で開く。
ぽん
音を立てて傘の花が咲いた。
「――きれいな水色だね!」
目を引く珍しい色は、光を透かすとなお一層あざやかさが際立つ。雨の日が楽しくなりそうなアイテムだ。
「あ、ここ! ワンポイントで刺繍も入ってるんだ。……かわいい!」
それも、ふわふわの白い雲かと思えばひつじのキャラクターで、短い手足がちょこんとのぞいている。その発見に、私はまた「かわいい」とつぶやいた。なるほどこれは閉じたままでは分からない。おもしろい。
「志水くんっていうモデルがまたいいから。“よくお似合いですよ”」
はしゃぐ私に、屋内で傘をさすという不思議な格好の志水くんは小首をかしげた。
――かと思うと、柄を持った側の手をすっと前に出した。スケッチの前に、鉛筆を構えて前に出すような感じ。
私を、傘越しに見ているのだ。
「確かにかわいいです」
志水くんは真面目な顔でうなずく。
……あれ、なんだか急に暑いな。気のせい? いや、でも暦の上ではもう夏なわけなんだし……。
「先輩は、かわいいもの好きですか……?」
「好きだよ」
反射的に答えて、私はこれはマズいのでは、と気付いた。簡単に連呼しているけれど、志水くんにとって「かわいい」は褒め言葉に聞こえないかもしれない、ということに。素直な気持ちではあるのだけれど、我ながら語彙が貧弱だ。
「あ、うんでも、わたしの言うかわいいは、いいねとか素敵とかそういう意味だからね。あと、今日は志水くんのお買い物だから――」
私じゃなくて、志水くん自身の好みをまず優先しないと。他の傘も見てみる? と口にするよりはやく、志水くんは私の目を見てほほえむ。
「僕も好きです」
「そ、そっか」
本人が気にしていないならいいのだけれど。
……あれれ、やっぱりなんだか急に暑いな。
「でもこの傘だと、やっぱり小さいかもしれません」
両手で頬をおおう私に、志水くんは今度は一歩踏み出し、傘をさし掛けてきた。
「――先輩と僕とチェロとヴァイオリンが入るには」
背景にあった色とりどりの雑貨――様々な色が遮断される。
布貼りの空の下。
世界にはふたりきり。
続き、は傘の内側にこもったから聞くことのできたささやき。
これからずっと、僕と一緒に帰ってくれませんか、先輩。
Twitterに画像で投下していたSSに加筆しました。なんとか納得のいく形にしてあげられた気がします。