No.114 
髪型が決まらない――こだわるのも格好悪いと、衛藤桐也は諦めてそのまま登校することに。クラスメイトからの指摘もなく、油断していたところに噂を聞きつけた日野香穂子がやって来て。
2,434 jacket:https://www.pixiv.net/artworks/56924537

ミは魅力のミ



 結局のところ、衛藤桐也は日本の夏、とりわけその湿度をナメていたのだった。
「…………」
 鏡の中に写っているのは、ムッとした表情の衛藤自身だ
 身だしなみに気を使うのは当たり前。けれど、洗面所の鏡の前を長々と占拠するのは格好悪い。そういうポリシーのもと、ヘアワックスを指先に取り、ちょちょいとつまむように髪をなでてスタイリングを終える。所要時間は、洗顔を含めて約五分。
 今朝も普段通りに、コトを行った――はずだった。使っているワックスも、手順も同じ。なのにどうしてか、髪型が決まらない。バランスの問題? と毛束のボリュームを増やしてみたり、減らしてみたり。新たに作ってみたり。あれこれいじるうちに、鏡の前の滞在時間が延びに延びた。――結果、うみだされたのは違和感だ。
 もうこれ以上、ぐだぐだと髪型にこだわるのはポリシーに反する、と衛藤は見切りをつけることにした。
 水で濡らし、リセット。

 星奏学院へむかう坂の途中、衛藤はチェロケースを背負っている人物を見つけた。歩幅を広くして、追いかけて声を掛ける。
「おはよう、桂一さん」
 志水桂一は、衛藤の一学年上の音楽科の先輩だ。“天才”を絵に描いたような人物で、どんなエキセントリックなふるまいも、許されてしまう節がある(衛藤ももれなく許してしまう派だ)。
「…………」
 振り返った志水は首をかしげた。しばし、二人は見つめ合う。
 まさか俺だって判らないとは言わないでよ桂一さん!(ただしその可能性は十分にある)と、自分から名乗ろうか否か、衛藤が悩んでいる間に。
「……衛藤くん」
 志水は眠そうな目を見開いた。
 あ、覚えられていた。というか判別がついた、と少しほっとする衛藤である。
「どうしたの。元気ないね……髪の毛」
「いやそれ、人聞き悪いし。違う意味に聞こえるから!」
 多少耳に掛けたりもしているが、衛藤の髪は何の手も加えていないナチュラルな状態だった。どうしても、遊びやボリュームに欠ける。男子は、髪の話には敏感なのだ。
 対する志水の、ふわふわしたくせ毛は爆発することなく普段通りだった。ヘアセットに時間をかけている姿というのが想像できない。
 どうやってんのそれ、と衛藤が聞いたところで髪質がまったく異なる以上参考にはならないだろうけれど。
「桂一さんはいつも通りだね」
「うん、好調」
 この間の曲出来上がったんだ、はやいね!? よかったら見せてもらえる?、うんそのつもり――などと話をしながら、二人は校門をくぐったのだった。


 衛藤の「今日限定の髪型」に、クラスメイトが何かを言ってくることはなかった。家族も同様だったので、反応があったのは志水くらいのものだ。そのことは、衛藤を満足させる。
 ほら、本人が思うほど、周囲は他人のいで立ちに注意を払わない。

 半日分の授業が終了し、昼休憩。教室の入り口が、大きくざわつく。扉は、窓際の一番うしろの席である衛藤とは対角の位置だ。そのため、反応が遅れる。
「先輩……! どうぞどうぞ!
 ――衛藤、お客様だぞ!」
「ありがとう」
 ひょっこりと顔を出したのは、三年生の女子生徒だった。学年色である赤いタイが、目に鮮やかだ。
 吐息のような悲鳴が、教室のあちこちから聞こえる。

「……香穂子」
「衛藤くんがイメチェンしてると聞いて」

 日野香穂子。
 普通科でありながらヴァイオリンを弾く彼女は、おそらく学院で一二を争う有名人だ。
 衛藤と香穂子が出会ったのは街中で、それも星奏学院に入学する前だった。そのため、香穂子の人気をつい最近知った衛藤である。
 ふたりで一緒に昼食を食べるのは、週に二回と決めていた。クラスメイトとの親睦を深めるため。または、前後に移動や準備に時間がかかる授業があり、慌ただしくなるのを避けるためだ。香穂子は、先程までその体育の授業を受けていたはずで、慌てて着替えてやってきたせいか、ふたつ結びの髪型がその名残を感じさせる。
 約束の曜日ではないため、衛藤はすっかり油断していた。
 一年から三年まで、音楽科と普通科という学科の壁を越えてどうやって噂が駆けたのか。
 周囲を見ると、クラスメイトはさっと目をそらす。……ルートは複数あったらしい。揃いも揃って暇人ぞろい? それはそれで、人の髪型ひとつで盛り上がれる、平和な学校生活の証でもあるのだが。

「行こ」
 教室では人目が多すぎる。衛藤は、ランチボックスを持つと、もう片方の手で香穂子の手を引いた。香穂子もされるがままについてくる。向かう先は、生徒の憩いの場である森の広場だ。

「それで? わざわざ教室まで見に来た感想は?」
「……高校生、って感じかな」
 つまり、年齢相応ということだろう。褒められていない。衛藤は臍を噛んだ。生徒証の証明写真にだって、こんな髪型で写っていない。整えようにも、携帯用のワックスは通学用鞄の中だ。
「どうも」と衛藤は軽く受け流す。
 ところで、

「俺たち、喧嘩してたんじゃなかったんだっけ?」

 ささいなことで喧嘩別れをしたのが、昨日の放課後。
 冷静になって思い返せば、原因はどちらか一方が悪いのではなく、お互いさま、どっちもどっちという内容だった。
 謝罪をするには大げさで、けれど顔を合わせるのはまだどうにも気まずい。衛藤は日を置いて仲直りするつもりで、それは今日ではないはずだった。
 香穂子は、むっと頬をふくらませる。
「他の人が知ってる衛藤くんを、私が知らないっていうのはどうなの?」
 彼女なのに、と付け加える様子が可愛らしくて、衛藤はつい吹きだした。
 なんという強欲。「日野先輩」のイメージがだいなしだ。でも――求められるのは、悪くない。
「そうだな」
 やがて香穂子も肩を揺らして笑いだしたので、それが仲直りの合図になった。

   *

 翌日。通学路で、衛藤はまた志水に遭遇した。
「おはよう、桂一さん」
 志水は、衛藤の目より少し上を見つめる。
「よかった、今日は元気だ」
「あんたの判断基準そこ?」

 ――あながち間違ってはいないのだが。

fin

Twitterで「志水くんは衛藤くんの髪型で元気かどうか判断してる」という呟きをしたことがあります。それをふくらませてみたのが、こちらのSSになります。当初の予定とはすこしだけ違うところに着地しましたが、題名はそのままで!

2020.05.07
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