No.87 ★ 滞在中のホテルに帰った月森蓮が見たのは、身の回りの品が乱雑に散らばる室内だった。ひとつひとつ拾い集め、そうしてたどり着いたのは……。 ✍ 1,314 |
ふわり。
広がるような形で絨毯の上に落ちていたケープを、月森蓮は無言で拾った。
振るようにして半分に折り畳み、荷物を持つ腕に掛ける。
数歩進み、再度屈んで空いた手で掴み上げるのが、白い花の髪飾りだ。
目立つ色で助かった。誤って革靴で踏んでは、使用不可能にしてしまうところだった。そのまま、ジャケットのポケットへと滑り込ませる。
念のため、他に何か転がってはいないかと、目をこらす。ここ海外の白熱灯は、日本のそれと較べるとほの暗い。一応、これで終いのようだった。
ソファの背に、ケープを掛ける。するとその陰に、サテンのハンドバッグが置かれている、というよりは、投げ出されている、もしくは取り落とされているのを発見してしまう。
わずかに考えた末、金の鎖の持ち手をひょいと腕にくぐらせて、月森は寝室へと続く扉を開いた。
ノックは省略して正解だった。
そこには、月森が予想していた通りの光景があった。
一台きりのベッドに、うつ伏せになっている人物がひとり。
左腕を枕に、右腕と足はまっすぐに伸ばされている。足元には、脱ぎっぱなしのハイヒール。
ぱたりという音が聞こえそうな、ドレスに寄る皺を心配する必要もないほど、見事な倒れ込み方だ。呼吸に合わせて、わずかに肩が上下しているので、大事ないと分かる。
君の劇場に近い方のホテルにしておいて正解だっただろう?
ヒールを揃えると、月森はヴァイオリンを片付けるべく、立ち上がった。
部屋の一番奥まったところには、臙脂色のヴァイオリン・ケースが置かれている。
滞在先のホテル、ないしアパルトマンでは、セキュリティを考慮した上でまず最初に置き場所を決めるのが習慣だ。
その横に、月森は自身の紺碧のケースを並べた。どんなに疲れていても、お互い優先順位は間違えない。更にその横に、ここなら見落とす事がないだろうと、サテンのバッグを添えた。
そうして移動した、再びのベッドの傍。
サイドテーブルの上に置こうと、拾った髪飾りを取り出せば、既に、留め具が外れたままの首飾りが長い輝きを放っていた。万一の事故に繋がっては、と外したのだろう。
そういえば、と月森は寝入る彼女に目を転じた。
イヤリングはそのままだ。
覆いかぶさるようにして、髪の間、両耳に花束を模ったそれがついたままなのを確認する。外した方がよいのかわずかに逡巡し、結局月森はそのままにすることにした。
何かの拍子に、起こしてしまうのが忍びない。
それに、もし片方がなくなったとしても、この寝室の中にあることは明白なのだ。
その時は、探せばいい。二人で。
大勢の人前での、それも長時間の演奏は、想像以上に体力を消耗する。
無事に公演を終了できたという、安堵と極度の緊張からの開放が一気に襲い、舞台袖にへたり込む者も少なくない。慣れないうちは、指一本動かすのも億劫に思うものだ。
部屋まで帰りつき、寝台に身を投げ出すのもやっとのこと。
そんな状態だったに違いない彼女の左手の薬指には、演奏中は外しているはずの指輪があった。
あと少しだけ、このまま寝かせておこう。
月森は、その肩にそっと毛布を掛けると、くちびるだけで囁いた。
おやすみ――香穂子。
月森くんは、自身がそうなだけにすごくきっちりした人や物が好きだと思うのですが、ちょっとだらしない一面も、笑って受け入れてくれるようになったら素敵だなぁと思って書きました。