No.78 
「伝説のジルベスターのようなコンサートを開きたい……!」という夢を描いた小日向かなでは、アドバイザーとして神南高校の芹沢睦を紹介される。横浜と神戸、通う学校が異なるふたりは、電話でやりとりを続けるのだが。
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音楽会への手帖





 小舟が帆を張り空を駆ける。蜥蜴は火を噴くドラゴンになり、巨大な塔は崩壊して、長い髪をなびかせる姫君の横顔へ。やがて、すべては流れとけあって、何事もなかったかのような様相を見せる。
 小日向かなでは、雲をながめることが好きだった。
 ふるさとの時間の流れは、非常にゆったりとしたもので、その分刺激にとぼしい。だからこそ、目の前にパノラマで広がり、一瞬として同じ姿をとどめない自然は創造に満ち満ちて感じられた。
 かなでは、空を見上げることで、変化とそれを楽しむことを学び受け取っていた。筋の通った物語が読み取れるのは、まれだったけれど。
 ――というのが、星奏学院に転校し、オーケストラ部に入部するまでの話。
 横浜での新しい生活は、瞬く間に過ぎた。
 練習、課題、そして練習。次にさらう楽譜に目を通して、また練習。立ちどまる間もなく、夏の全国学生音楽コンクールを駆け抜ける。
 そうして、秋。かなでは、先輩が企画を立てたコンサートに出演することになった。
 アンサンブル参加に至る経緯からして突然だったように、なかなかの急ごしらえ具合だった。急病人による担当の不在、重なる連絡ミスに、そもそもの計画の穴。
 一時は開催も危ぶまれた。しかし、「観客を裏切るわけにはいかない」とかなで達出演者、出演予定のなかったオーケストラ部の部員達が協力し、奔走することでなんとか当日を迎えることができたのだった。

 アンコール。盛大な拍手で、幕が閉じる。
 ほっと安堵の息をついたかなでの胸の内は、不思議な充足感に満ちていた。
 かなでが今まで体験してきた「コンクール」には、課題曲があり、演奏時間が設定されていたりと制限があった。「コンサート」も同様で、幼い少女だったかなでには、あらかじめ決められた曲を仕上げ、綺麗なドレスを着て披露するだけの機会だった。
 それがどうだろう、この「コンサート」は。
 かなでは、ヴァイオリンを弾くことが好きだ。今も昔も、変わりはない。
(でも、それだけじゃなくって)
 演奏する曲を選ぶ。ただ参加するのではなく、自分が立つ舞台を一から準備する。創りあげる。
 コンサートは、本番の前から息をしている生きものだった。どれだけ念入りに支度をしても、トラブルは発生する。途中から乗りかかった船でさえ、こうなのだ。手が掛かり、目が離せない。
(それはきっと、自由で――楽しい!)

「わたし、もっと、コンサートをやってみたい!」
「無謀だな」
 かなでの決意表明を「熱に浮かされた戯言だ」とばっさり却下したのは東金千秋だった。神戸住まいである彼は、自身のライブのため偶々横浜に滞在していたのだった。現役高校生にして、数千人のファンを動員できるヴァイオリニストの発言は重みが違う。
 かなではぐっと言葉につまる。が、ここで簡単に引き下がるくらいの気持ちでは、何事も変わらないと知っている。
「誰でも最初は初心者です。何事も、はじめないとはじまらないと思うんです」
 アンサンブルの共演者を見回せば、かなでの唐突な表明に戸惑いつつも、まんざらでもない様子。
 そこでかなでは、星奏学院で語り継がれるジルベスターコンサートの存在を知った。
 世界で活躍する卒業生が多数出演したという、伝説のステージ。偉大な前例に尻込みする者もいたが、かなでの気持ちは高まるばかりだ。あやふやだった希望に、目指す目標ができた。
 まとまらない場に、助言をくれたのもまた東金だ。
「まずは一日、頭を冷やせ。
 明日になってもやる気が続いているなら、アドバイザーくらいなら紹介するぜ」

「コンサート、やってみたいです」
 翌日、顔を合わせるなり開口一番そう言い放ったかなでに、東金は笑って、あらかじめ用意してあった一件の連絡先のメモをくれたのだった。

   *

 夕食後、かなでは寮の部屋から電話を掛ける。数コールののち、「彼」は出た。

「はい、芹沢です」
「あの、星奏学院の小日向かなでです。
 こんばんは、突然電話をしてすみません。今お時間ありますか」

 芹沢睦。
 この夏、全国大会で競い合った神戸の神南高校の二年生。演奏楽器はピアノ。
 かなでが、芹沢について知っていることといったらそれくらいのものだった。
 先輩である東金と土岐蓬生が、星奏の菩提樹寮に(突貫工事を施してまで)滞在したのに対し、芹沢はホテル住まいをしていた。用事があるたびに寮へと通って来てはいたが、直接言葉を交わしたことがあるかないか、というくらいの間柄。同い年なのに冷静沈着で大人びた人、というのがかなでの芹沢への印象だった。

 スマートフォンを耳にあてながら、かなでは頭を下げる。気配が伝わったのか、芹沢の声がすこしやわらかく変化した。
「ええ、この時間なら帰宅しています。
 部長からお聞きしていますよ、小日向さん。コンサートを開かれる予定だとか」
「はい。目標は伝説のジルベスターコンサートなんです」
 五年前、星奏学院のOB・OGによって開かれたコンサートで、とかなでは手短に説明する。録音や録画は残っていない。ただ、その場にいた人いわく、いつでも――今でも――心にある宝石箱を開くことで音色をよみがえらせることのできる、まるで奇跡のような舞台だった、という。
「はじめてで、いきなりそんな高みを目指しても無謀なだけだって、東金さんには釘をさされてしまって。それは、すごく納得してます」
 教会でのコンサートが、あれほどばたばたしたのだ。準備の大切さは、身に染みている。
「まずは、実績と経験を積み重ねていくことになったんです。それで、芹沢くんに相談を――」

 芹沢は、事情は分かりました、と言った。
「俺にできる範囲の協力はしましょう」
「! ありがとう、芹沢くん」
「お手元にメモの用意はありますか」
「はい」
「では、早速ですが――まず、手帳を購入してください」
「手帳ですか?」
 かなでは開いたばかり、おろしたてのリングノートを見た。
「ええ。あらかじめ日付の入ったスケジュール手帳を一冊、新調してください。
 サイズは小日向さんの使いやすいものを。月間と週間のページは必要です。
 ジルベスター……大晦日に向けて、これからあなたが管理するのは、何件ものコンサートスケジュールなのですから。同時に並行して進めることが沢山あることでしょう。変更になった予定は、修正液ではなく、線を引いて消すことをおすすめします。なくなったはずの話が、ひょんとよみがえることはざらですから」
「なるほど……!」
「スケージュールを組む際、何を優先するか悩まれると思います。その時は、「クリーニング」の予定を第一に考えると良いでしょう。着るものは大事です」
「それは芹沢くんの経験上?」
「さあ、どうでしょう。アンサンブルの名前はもうお決まりですか」
「「週末合奏団」って言うんです」
「名付け親は小日向さん」
「はい」
「素敵な名前ですね。広報の際、綺麗系からかわいい系まで、様々なデザインが映えそうだ。……俺は「ジンナンズ」をどれだけ小さい字で書くか、毎回頭を悩ませていますよ」

 芹沢は具体例をまじえながら、コンサートの企画・運営・管理について、宣伝や広報の仕方といったところまでを、かなでに教えてくれたのだった。

「――――、」
 芹沢の声がわずかにかすれた。乾いた小さな咳を聞いて、かなでははっと壁に掛かった時計に目をやる。通話をはじめてから、結構な時間が経過していた。
「ごめんね、沢山お話を聞いちゃって」
「これからお茶を淹れてこようと思うのですが」
「うん」
 暇の合図だとかなでは思った。電話を掛けた側の責任として、芹沢側から言葉にして切り出される前に、お礼ののち「そろそろ、電話を切りますね」と告げるつもりだったのだが。
「ご一緒にいかがですか、小日向さん」
「……はい?」

 電話をつないだまま、一緒に台所まで移動する。
 お湯を沸かし、それぞれ紅茶を淹れる。
 茶葉はティースプーンに二杯、蒸らし時間は約三分。
 ――最初が「そう」だったから、相談のあとはふたりでお茶会を開くことが習慣になった。

   *

 週末合奏団の活動日。
 練習場に現れた東金に、かなでは近付く。
「東金さん、こんにちは」
「よう、小日向。
 準備は順調のようだな。駅からここに来るまでの間、ポスターを何枚か見掛けたぜ」
「はい! 星奏の美術部の協力で、素敵に仕上がりました!
 あとは、芹沢くんのおかげです。親身に、本当に色々と相談に乗ってくれて。
 紹介して下さってありがとうございます、東金さん」
 今度の会場も、いただいた候補のリストの中から選んだんですよ! とかなでは胸を張る。
「えらくサービスがいいじゃねえか。ただより高いものはないぜ? 小日向」
「それがその……実は、ただじゃないんです」
 冗談のつもりだったが、かなでは声をひそめて何やら深刻な様子だ。
 まさか芹沢に限って、と東金は身を乗り出す。
「菩提樹寮に……紅茶の詰め合わせのミニギフトが届いたんです。差し入れですって……!」
「……予想以上に押せ押せやな」
「やっぱりわたし、図々しかったですかね……!? お返しに悩んで、クッキーを焼いてみた、んです……けれど」
「けれど?」
「荷札みたいなティーバック型にしてみたら、倍返し以上になりましたねって……うけました多分」
「だろうな」
「あとから、好みを確認しないで手作りを送りつけてしまったことが、気になって」
 芹沢から、最初の一回については報告を受けていた。以降は、東金には初耳のやりとりである。いや、聞かされても困るのだが、と現在進行形で東金は思った。これはなんとかに蹴られるやつじゃないのか?
「あいつは嫌なことは嫌だとはっきり主張できる奴だから安心しろ」
 この話は終いだというように、東金はひらりと手を振った。
「ただし、油断はするなよ」
 もう、手遅れかもしれないが。

   *

「ジルベスターコンサートを開くことが決定しました! それも「伝説」と同じ舞台よこはまで!」
 定例となっている電話の時間。あいさつもそこそこに、開口一番かなでは言った。
 部屋にはぷんとインクがにおっている。チケットやポスターの印刷が仕上がり、ようやく情報解禁となったのだ。週末合奏団の総合責任者という立場であるかなでも――責任者だからこそ、発表のタイミングを守った。早く、芹沢に伝えたかったのだ。
「おめでとうございます、小日向さん」
 芹沢の声もはずんでいる。自分のことのように喜んでくれているのだ。――嬉しい、とかなではさらに喜びをかみしめる。
「芹沢くんのアドバイスのおかげだよ。あとは、練習を頑張って、当日を迎えるだけ」
 これから大きな山がいくつもあることは承知で、あえてと言い切る。
「小日向さん……週末合奏団なら、大丈夫ですよ」
「ありがとう」
 かなでは居住まいを正した。肝心なことが、まだ言えていない。
「それでね、芹沢くん。十二月三十一日って、何か予定がありますか?」
 かなでの手には、コンサートのチケットが一枚あった。あしらわれた幾何学模様は、ライトが木目を照らす金色の時、ステージをイメージしたものだとデザイン担当者から聞いている。美しい仕上がりだ。
 封筒はとうに記入済み。あとは「中身」を入れて封をし、郵便に出すだけという状態まで持ってきている。
 芹沢の返事は遅かった。
「――申し訳ありません。年末年始は、家の用事が入っています」
「あ、そうなんだ」
 間の抜けたあいづちだ、とかなでは慌てて付け加える。「うん、いいの、気にしないで。時期が時期だもんね」
 横浜と神戸は距離がある上、コンサートが行われるのは大晦日。お互い学生の身だ。家庭が優先されるのは当然だろう。かなで自身も、あらかじめ冬休みの帰省を家族に断っている。
 無理をしてきてほしいと、芹沢に願うのは申し訳ない。支え続けてくれたその成果を、彼に見せられないのは――とても、残念だけれど。
 かなでは、芹沢にと取っておいたチケットを手放すことに決めた。今からなら十分、他へ回すことができる。席を無駄にせずにすんだ。だから、未練がましく見つめるのはやめよう、と裏返して置く。

「ところで、小日向さん。一月の四日なのですが」
「はい」
 芹沢との電話の際には、目の前に必ず手帳を開いている。かなでは、使用感でふくらみつつあるページを反射的にくった。黒々とした文字でうまる中、一月はほぼ白紙の状態だ。四日の欄も空白だった。
 かなでがそれを告げる前、
「お会いしませんか。場所はどこでも構いません。横浜でも神戸でも――長野でも。あなたのお好きな場所で」
 普段よりもすこし早口で、芹沢が言う。
 かなではまたたきをした。会う?
 今まで何時間、芹沢とこうやって話してきたことだろう。最初はかしこまっていた言葉も、時々くだけるようになった。離れていても身近に感じる存在だ。
 その距離がなくなる。芹沢くんと、会える。

「はい」

 スマートフォン越しに、聞こえたのは深い安堵の息だ。
「急な話ですから、場所の希望については今決めるのではなくまたご連絡ください。一緒に話し合って決めるのでも構いません。
 ただ、手帳には書いておいてください」
 付け加えられた冗談を、かなではくちびるで、やがて声に出して笑う。
 忘れるはずなんてないのに。
 ペンを取り手帳に書き込んだのが、「芹沢くんとデート」の文字だった。

fin

ゲーム本編をそのままなぞるわけにはいかないぞ、と記憶+想像で埋めつつ書きました。途中で、コルダ4を再プレイ(データが全部吹き飛んだので冒頭から……)して確認したのですが、全然違いました(苦笑)。私の記憶力よ……わざわざ離すまでもなかったです。
芹沢くんは4では非攻略対象なので、あえて「音色」を聞かせないルートに挑戦してみました。はからずともソーシャルディスタンスな感じに。

2020.05.02
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