No.79 
付き合って三カ月記念日に、氷渡貴史は小日向かなでに指輪をプレゼントすることを決意する。以前のような失敗はもうしない……! AS横浜天音設定。
#気が向いたらかくリクエストボックス
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Ring! Ring! Ring!



  手のひらサイズの薄い横長の箱に、白いリボンをかける。
 何パターンもの結び方を練習したため、ラッピングに詳しくなった。来たるクリスマス商戦のアルバイトとして重宝され、引っぱりだこになるだろうと自画自賛してしまうレベル。 
 だが氷渡貴史が最終的に選んだのは、ごくふつうのリボン結びだった。
 端を強く引けばはらりとほどけ、すぐに中身を確認できる。

《好きだ。愛している。お前のことを思わない瞬間ときはない。
 いつも一緒にいられたらと野望のぞんでいる。
 俺とつき合ってくれないか――小日向》
《嬉しい。わたしずっと、氷渡くんからのその言葉を待っていたの》
《小日向》
《氷渡くん……!》
《小日向……!》
 ふたりは甘く見つめ合う。
 やがて、なごりおしさを感じながらも視線を外した氷渡は、すっと小箱を取り出す。
《今日という日の記念に、受け取ってくれないか》
《これを……わたしに? ああ、なんて素敵なプレゼント! なんて素敵な一日なのかしら……!》
 感動のあまり瞳をうるませる。やがてふたりは一歩、また一歩と近付き、熱い抱擁を

 ――というのが、氷渡が思い描いた理想のシナリオだった。なりゆきによっては、贈り物を自らの手で身につけさせるというオプションがあってもいい。すごくいい。
 ところが実際は。
 緊張のあまり用意していた台詞が、すべて飛んだ。
 あーとかえーとかうなり、しどろもどろになりながら、かろうじて「小日向」と「好き」と「付き合ってくれ」を口にできた……かどうかも怪しい気がしてきた。
 いやいや、と氷渡は頭を振る。小日向かなでは、氷渡が必死に言葉をつむぐのをじっと待っていてくれたではないか。その吸い込まれるような瞳の美しさといったら。想っていることの十分の一も伝えられず、もどかしく苦しい状況下であった氷渡だが、このまま時間が停まればいいと願ってしまうほどだった。告白の最中なのに、また好きなところがひとつふえる。
 ドラマのようなスマートさとはほど遠い。ボロボロの出来だったにも関わらず、かなでは「わたしも」「嬉しい」という答えを返してくれた。それは確かだ。何度も確かめたのだから。
「本、当……に?」
「はい」
「本当の本当に……?」
「はい」
 くすぐったそうにかなでが微笑む。
 返事はYES! 氷渡は喜びに舞い上がり、本格的に記憶いしきを飛ばししばし放心することとなったのだった。

 ところで、告白と贈り物は氷渡の中では切り離せないものになっていた。この日のために、念入りに準備してきたのだ。むしろ、そこがゴールというつもりでいた。
 今でなければいつ渡すのか。
 宙に浮かせるには、小箱の中身に思い入れがありすぎる。
 しかし、手渡しする余裕など、正直氷渡にはもう残っていない。かなでから感謝の言葉――絶対あると断言できる。なんなら褒め言葉と、笑顔もついてくる――を直接あびるだなんて、キャパオーバーにも程がある! どうにかなってしまいそうだ。
 そこで氷渡は、すきを見てかなでの鞄にそっとプレゼントをすべり込ませた。
 よし、これで渡せた・・・。隠すように入れた訳ではないので、明日の授業の準備の際に早々と気づかれることは承知の上。つまり、タイミングをほんの少しだけ先延ばししたのだった。

 雲の上を歩むようなふわふわした足取りながらも、かなでをマンションの前までしっかりと送り届ける。天音学園が寮として借り上げている部屋は上階だという。
 手を振って別れたかなでが、大きなガラス戸をくぐるところまでを見届ける。
 鏡面仕上げの石のエントランスを経てエレベーターへ。居住の階で降り、解錠をして部屋の中へと進む。施錠とうがい手洗いをしっかりして、一休みをはさみ――それから、それから。
 かなでが鞄の中をあらためるタイミングを、氷渡は待った。
 小箱に気づき、リボンを解いてふたを開ける。
 驚くだろうか。喜んで、なにより気に入ってくれるだろうか。……引いたり、しないだろうか。
 これまで何度も自身に投げかけてきた問いだ。その度に動悸がした。今も、している。
 自分の部屋という狭く日常感あふれる場所でじっとしていられる気がせず、氷渡は目的もなく横浜の街で寄り道を重ねた。途中で、ストレートに手渡ししたほうが楽だったのでは、という考えが頭をよぎったが、済んでしまったことはもう仕方ない。本当もう、色々と仕方ない。
 手すりによりかかり、街の灯がひとつ、またひとつとともる様を眺める。
 氷渡の携帯電話が鳴った。ディスプレイに表示された相手はもちろん、待ち望んだ《小日向かなで》だ。

「もしもし!」
 飛びつくように通話ボタンを押せば、
「ありがとう、氷渡くん!」
 はじけるような、かなでの声が聴こえる。
「今、鞄の中のプレゼントに気付いて、箱を開けたの。
 氷渡くんの、手作りだよね」
「……ああ」
 やはりひとめでそうと知られてしまった。そのことが、氷渡には何よりも嬉しい。
「すごく細かい細工のペンダントトップ……! 大切にするね!」
 製作から準備期間の悩み、すべて報われた気がする。よかった、喜んでもらえたようだ、とほっとしたのも束の間。
「…………ん?」
 ペンダントトップ・・・・・・・・
 そんなはずはない。氷渡が贈ったのは、指輪・・だ。一体どこで入れ替わった!?
 氷渡はあっと気付いた。
 ヴァイオリニストへの贈り物ということで、指輪にはチェーンをそえた。演奏の邪魔にならないように――氷渡自身も、チェロを弾く時には指輪を外す。
 気軽に身につけられる(……できれば離さないでほしい)という気遣いが裏目に出たのか。ネックレスと指輪では、プレゼントの重みが少し変わってくる。
「ち」
 違うんだ小日向。
 かなでの勘違いを指摘しようとしたところで、今度はあることを思い出す。
 氷渡は、指輪を手作りすることに夢中になるあまり、基本のきを失念していた。普段通りのサイズで製作していたのだ。つまり、自身の中指に合わせた号数に。
 指輪は、かなでの指には余るだろう。一般的に女子にオーバーサイズのリングを贈るのは、地雷を踏みぬくような行為だ。サイズを決めつけ、いかに本人のことを見ていないかという証拠のようなもの。
 氷渡は、チェーンをそえることを決めた過去の自分を褒め称える。
「気に入ってもらえたならよかった」
 そして、あえて誤解を解かずそのままにする選択をしたのだった。

   〇

 恋愛は、三の周期で破局の危機が訪れるらしい。
 三時間、三日、三週間は何事もなく穏やかに過ぎた。
 毎日、同じ教室で授業を受け、部活に出て、時には一緒に練習をして……と毎日が楽しい。だが油断はしない。大切なのは次の節目だ、と氷渡はにらんでいる。念入りに準備をしておかなければ。
 氷渡は贈り物のリベンジを誓った。そのためには、かなでの協力が必要だ。正直に打ち明けて、告白の時のような失敗はもうしない――「失敗」したことは、いまだかなでには伝えていなし伝えるつもりもないけれど。

 天音学園の屋上に設えられているバラ園。
 ベンチに並んで腰掛けたかなでは、ごちそうさまでした、と手を合わせる。弁当箱を片付け終わるタイミングを見はからって、氷渡は切り出した。
「話があるんだ」
「はい」
「小日向。お前に、プレゼントをしたいんだ。その、俺たちがつき合いはじめた三ヶ月記念に」
 いいか? とたずねれば、かなでからは、いいの? という返事が笑顔付きで返ってくる。
「ありがとう……!」
 氷渡はかなでの手を握って、感謝を伝えた。
「それ、わたしが言うべき言葉だと思うなあ」
「そうかな……いや、そうか!」
 ふたりは顔を見あわせて笑う。
「楽しみにしてるね」
「ああ。それで、だな小日向。
 サイズを測らせてほしいんだ……指輪の」
「……うん」
 氷渡は、身体をすべらせてかなでの正面に回り込んだ。片膝をつき道具を取り出す。二十八個のサイズ違いの銀の輪が連なる――リングゲージを。
 一番大きなサイズから試し、段々とサイズをさげていくのが正式な測り方であるという。そうかなでに説明した上で、氷渡は測定をはじめた。
 手を捧げ持つようにして、丁寧に。呼吸を止めて。まるで、指に銀の輪が触れると感電でもするかのように、慎重に。
 何度も輪を交換し、第二関節がぎりぎり入るサイズを探る。これ以上ないほど、真剣に。
 と、氷渡に預けているのとは逆のかなでの手が持ち上げられた。
「悪い、時間が掛かって――」
 氷渡が仰ぎ見れば、
「…………なんだか、照れるね」
 このシチュエーション、と呟くかなでの、片手では覆いきれない部分からのぞく頬が赤い。
「へ? ……あ」
 それは、意識するとあっという間に氷渡にうつった。

   〇

「約束、だっただろ」
 交際三カ月記念日当日、あいさつもそこそこに氷渡はてのひらに乗るサイズの小箱を差し出した。
「開けていい?」
「もちろん!」
 早朝に掛けられたばかりのリボンが、かなでの指によって解かれる。
 上蓋が持ち上げられる。
 リングケースに鎮座しているのは、氷渡手作りの銀の指輪だ。
 マーガレットとスミレが連なる、花冠をモチーフとしたデザイン。隠すように四つ葉のクローバーをひとつ、まぎれこませている。
 花の中央には二か所だけ、小さな合成石のアメジストとガラスパールをそれぞれあしらった。
 いずれも、念入りにやすりをかけてある。引っかけて、万が一でも怪我をすることがないように。
 わぁ……、とかなでが目を見開く。

「素敵」

 前回の指輪あらためペンダントトップも、氷渡はそれはもう一生懸命に作製した。けれど、告白に間に合わせなければという焦りや、そもそも告白自体が成功するのだろうかという迷いが多くあってのことだった。
 その点、この指輪にとりかかった期間は気持ちに余裕があった。デザインを考える時、材料を選ぶ時、銀粘土を形成する時、焼き上げる時、やすりをかける時と、常に贈る相手――かなでのことだけを考えていられる、しあわせな時間であったといえる。
 しかし、「今」以上の喜びはなかった。
 ああ、この顔が見たかったのだ、と氷渡は思う。
 ようやく、渡せた。

「せっかくだから、氷渡くんにつけさせてもらいたい」
 いいかな? というかなでのお願いを誰が断れるだろう。
「あ、ああ」
 前回の測定の時に散々予行練習めいた動作はしているはずなのに、本番の緊張はその比ではない。
「緊張するな、これ」
 正直に口にすると、「うん」という返事。
 小日向、言い出したのはお前の方なのに、と指の震えを誤魔化すようにからかえば、
「わたしも。
 わたしも、同じ気持ちだよ、氷渡くん」

 指輪は、かなでの指にぴたりとはまる。
 氷渡は、なんだか泣きたいような気持ちになった。

   〇

「今日一日はこのままでいさせてください」
 授業に部活と、昨日まではなかった指輪に訝しがる視線を感じるたびに、かなでは断りをいれた。
 天音学園は校則にうるさい学校ではない。実力がすべて物をいう。実際、ヴァイオリンの演奏に何ら支障がないことを示すと、それ以上の追及はされなかった。
 かなでは一日、自らの希望を堂々と貫き通し――宣言通り、翌日から学校でその指に指輪が光ることはなかった。

 後日、かなでがこっそりと打ち明けたところによると、
「指輪はね、普段は首から下げてるの」
 こうやって、と制服の襟もとに手を差し入れる。
 氷渡がそっと目をそらすうちに、銀の鎖――かつての贈り物だ――が引き出された。
 その先には、見覚えのある銀細工がふたつ揺れている。
「わたしのお守り」
 てのひらに広げて置いたかなでは、雪の結晶を抱く輪と花冠のうち、前者に指を通すとふふとほほえんだ。

fin

#気が向いたらかくリクエストボックス よりASエンド後の氷渡くんとかなでさんでした。
リクエストありがとうございます。お待たせしました!
いただいたコメントで「Happy Happy Halloween」にも触れてくださっていたので、勝手ながらその続きとしても読めるようにしてみました(もちろん別物としてもOKです)。

2020.08.05
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