No.04 
京を巡る最中で紫苑の料紙を手に入れた神子・高倉花梨。同行していた源頼忠は、文を書くことをすすめたのだが。
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核心に触れる



 訪ねてきたのは紫姫の館の家人だ。何度か顔を合わせている男は、普段以上にうやうやしく文を差し出す。己が手に取る前の段階で、源頼忠は目を見張った。
 上等の美しい紫苑のそれには覚えがある。
 先日、京を巡る最中で神子が手に入れた一品だ。
 ――文を書かれてはいかがでしょう。
 頼忠がそうすすめると、神子――高倉花梨は困ったように首を傾げたのだった。
「歌を詠んだことがないので」というのがその理由である。京とは異なる世界でうまれ育った身には、勝手が違うことが多々あるのだろう。そこに思い至れなかったことを頼忠は恥じた。口にしようとした謝罪の言葉は、なんとか飲み込む。畏まって控える態度は加減を誤ると、この主に申し訳なさそうな顔をさせてしまう。それは頼忠の本意ではない。
「文には歌だけではなく、文章を書いてもよいのですよ」
 すすめると、
「そうだったんですか?」
 花梨はからりと明るい声を出した。
「私が知っている物語では、文といえばいつも歌だったので勘違いしていました。
 ……でも、よく考えるとそうだなぁ。歌だと、たとえば日とか数とか、具体的で正確なことって伝えにくいですもんね」
 ――もちろん、歌だから伝えられるものもあるんでしょうけど。
 頷いたものの、頼忠は歌が不得手だ。教えを請われたら、その立場を紫姫の館の女房か他の八葉に譲ることになるだろう。
「肩の力を抜いて、お気軽にしたためなさいませ」
「はい。毎日のように友達とやりとりしていたので……手紙なら書けそうです」
 料紙を大事に胸に抱くと、花梨は微笑った。

 それがまさか自分に宛てられるとは、頼忠は思ってもみなかったのだ。
「白龍の神子様から頼忠様へとのことです」
 男はとうに分かりきったことを述べる。文の内容によっては返事の必要があるかもしれない。頼忠は男にしばらくとどまるように言い、家人に労いもてなすように申しつけると、自身は館の奥に向かった。
 落ち着いた場所で、はらりと文を開く。
 ほのかに香るは梅香。紙に焚きしめたというより、香を焚きしめた部屋でしたためられたため移ったのだのだろうというささやかさだ。花梨の手によるものだ、という実感がなお一層増す。
 頼忠はほう、と息をもらす。文は漢字と女文字が混じって書かれていた。筆はまだ慣れていなくて、と花梨は謙遜していたが、確かにところどころぎこちなさは残るものの、王羲之を思わせる手蹟ではないか……!
 庭にやってくる鳥の話からはじまる文を丁寧に読み解いていく。
 そこに綴られていたのは、花梨の素直な気持ちだった。

 ――突然、京へやってきて戸惑ったこと。
 ――怨霊との戦いが、おそろしかったこと。
 ――夜の昏さに怯え、見上げた星の美しさに感動して震えたこと。
 取り繕わない明け透けな文章なのは、胸の内をさらしてもよいと思われたから。語るやわらかな声が聞こえそうだ。花梨からの信頼が頼忠にはこそばゆい。
 ――こちらでは、花をはじめとして、草木やいきもの、天気の息吹をしっかりと感じられること。
 ――怨霊との戦いは、「少し」平気になったこと。
 ――今ではすっかりこちらの暮らしに慣れつつあり、それは、まわりの人たちのおかげであるということ。特に、

 頼忠は一旦文を下ろした。呼吸を整えて、再度文へと挑む。

 ――頼忠さん

 書かれているのは、何ということはない自分の名だ。この名になってから、何度か署名し、宛名された見慣れた文字列。重要なのは姓で、名は家内で区別をつけるための記号のようなものだと考えていた。
 それなのに、頼忠の胸は早鐘を打った。
 文にはまだ続きがある。すべてに目を通した上で、これだけ丁寧な内容をいただいたのだから、何らかの形で返事をしなければ。そう思うのに、目が釘付けされたようになり先へと読み進めることができない。

 ――頼忠さん

 ただの名前が、花梨の手によるというだけで輝いている。特別なもののように感じられる。
 頼忠は困惑した。自分は武士で家臣という立場だ。刀を振るい、いざという時には主の盾になる。物の数にもならない身だということを常から意識していなければならない。特別、などと勘違いも甚だしい。
 じっと文字を見つめる。
 やがて頼忠は、ひとつの結論に至った。

(ああ……神子殿は、「心」と書くことで私をとらえてしまわれたのだ)

 心臓。精神。物事の要。
 頼忠、という名に偶々「心」の字が含まれていたから。
 このように胸が苦しく、鼓動が早まるのもそのため。
 特別なのは自身の名前ではなく、花梨なのだと考えると頼忠はようやく気持ちを落ち着かせることができた。
 頼忠は安堵の息をつく。これで、大事な文の続きを読める。
 納得してしまったことで、過程にあった気付きはすっかり忘れ去られていた。しかし、一度ともされた火は、焚物がつきるまで残り続けるものだ。吹き消す風を受けることのない、心の内では尚更。

 時刻は戌の刻。夜が更けるにはまだまだ時間があった。

fin

9月に序まで書いて寝かせてあった文章に加筆しました。予定ではSSSのはずだったのですが……。
なお、「王羲之」のくだりは笑うところです。

2019.11.27
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