No.08 
山奥にある忘れ去られたような村で、春日望美と有川譲は暮らしている。村人たちに「若夫婦」だと思われている二人だったが。銀バッドED後。
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藁の揺籃



 山と山の間にあるわずかな平地。そこに張りつくように、里はある。
 ともすれば、木々の間に見逃してしまうような小さな村だった。
 唯一交流のあった下の村は、数年前に離散した。以来、村に人の出入りはほとんどない。出ていくのは、あの世への旅立ちの時のみ。村人たちは、世の中から置き去られたように暮らしていた。
 老い朽ち果てるのを、ただ待つだけ――
 そんな村に旅人がやって来たのは、川縁に薄く張る氷が溶けはじめる頃だった。

 ――こちらの村に泊めていただけませんか、と旅人が言った。
 ――どんな場所でも構いません。
 村人は答える。
 ――迷い込んだ先が悪かったな、見ての通り粗末な小屋ばかりで客人をもてなす余裕もない。
 見れば旅でよれていながらも、男はこざっぱりした格好をしていた。村人という雰囲気ではなく、弓と携えているが、武士という風体ではもっとない。話に聞く都人だろうか。まだ年若く、うしろに妻と思しき同行人を連れている。
 夫婦で慣れない山を越えてきたのだと思うと、他人を警戒する気が削がれ、あわれに思う気持ちが芽生える。
 ――ただ、人が減って空いた家がそこかしこにある。傷むに任せているが、露をしのぐくらいはできるだろう。
 村人が言うと、若夫婦はたいそう喜び、丁寧に礼を述べた。
 ――では、あちらをお借りします。
 よく通る声で妻の方が指さすのが、村の一番奥手にある廃屋だ。
 ――他にはあがっている食事作りのための煙が、あちらには見えないので。
 長く豊かな髪が美しい若妻は、よく知恵が回るらしい。村人は驚きつつも頷いた。

 村人はほんの一夜、村の屋根のひとつを貸すつもりであった。
 だが、村人たちが若夫婦の人柄に親しみを覚え、若夫婦が村に馴染むうち、その滞在は次第に延びるのだった。

   *

「ただいま戻りました」
「おかえりなさい」
 帰宅した有川譲に答える声は、几帳の向こう側からした。
 几帳――といっても他に呼び方がなくそう呼んでいるだけの、木枠に着物を引っかけただけの帳である。それでも、一目ですべてを見渡せる狭い家には不釣り合いな代物だった。
 譲は、桜色の着物越しに話しかける。
「遅くなりました。今から食事の準備をしますね」
「『いつもすまないねえ……』」
「『それは言わない約束でしょ』……先輩」
 古典的コントのやりとりを再現すると、春日望美がくすりと笑った――気配がした。その笑みの名残りを残したまま、几帳から顔をのぞかせる。「ねえ、譲くん。あとで話があるんだ」

 雑穀米に漬物。譲が射た鳥のつくねに根菜の味噌汁。
 夕食の膳を前に、「いただきます」と二人は向かい合った。
「話というのはね、あそこに田んぼがあるでしょう? 今日、いつものように手伝いに行ったら、村の人からそこを使ってもいいって言われたの」
 望美の言う「田んぼ」は、持ち主がいなくなり何年もの間放り出されている田だった。石が転がり、畦もところどころ崩れている草原といってもいい有様。あれでは、草を取り、石を拾い、鍬を深く入れ土の上下を入れかえるところからはじめなければならない。現代の高校生だった譲なら、嫌がらせかと眉をしかめるところだ。
 こちらの世界に慣れた今では、違った意味を受け取れる。
 田を持つことを許可されたということは、水を分けてもいいと判断されたということ。共同体の一員として認められた証だ。
「よかったじゃないですか」
 譲は日中、獲物を狩りに山の中に分け入っている。万が一の誤射を避けるためと、村人の縄張りの外で山の幸を採取するためだ。栄養価のある美味しい食事を、望美と譲は諦めることはできなかったのだ。
 そのため、村人たちとの交流は主に望美が担っている。
 譲の弓の技量が買われている部分もあるだろう。余った食料や、手持ちの薬をおすそ分けするという気遣いも効いているはずだ。
 しかし、それだけでは物で釣る、といういびつな関係でしかない。村人たちに、村の内に受け入れようという気をおこさせたのは、ほとんど望美の魅力――分からないことは丁寧に訊ねる、挨拶と感謝の言葉を忘れない、いつでも機嫌よく働く、そして決して物おじしない――のおかげだった。
「先輩、白米好きですもんね」
「それは譲くんもでしょ。
 ただ、迷ってもいて。私一人じゃ田んぼの世話をしきるのは難しいと思うんだ」
 譲は、小学校の頃学習した「稲作の方法」を思い出す。教科書の知識がこんな風に役に立つとは、思ってもみなかった。
「当然俺も協力しますよ」
「……それに、その分家を長く空けることになるでしょう?」
 望美の視線が几帳を向く。狭い家の中で、それはすぐ隣だ。
 家に上がり込んだ今、譲にもその内側がすっかり見えている。

 延べられた万年床に、男が一人横たわっている。
 男の髪は、望美が自身よりも丁寧に櫛を入れるため、絹のように艶やかだ。
 ひいでた形の唇は、定期的に水差しを口元に運ばれるため、薄く開き常に潤っている。
 衣からのぞく、整えられた桜貝のような爪。陽に当たることのない肌は、いつしか透き通るほどに白くなった。尋常ではない美しさ。

 ――その男は、奥州で銀と呼ばれていた。

   **

 瞳に何も映さず、ぷつりと糸が切れたようにどんな反応も返さない。
 同じ言葉を機械的に繰り返すだけ。
 銀がそうなってしまったのは、強大な呪詛により心を失ったためだ。そして、戦えない彼は、周囲に「死んだ」とみなされた。
 戦場では自分の身を守ることのみで精一杯だ。死人はその場に捨て置くのが掟。
「生きて」いる銀を諦めることができなかったのは、望美ただひとりだけだった。

   **

 望美の逡巡の理由を、視線で譲は理解した。
 伊達に幼馴染として付き合いが長い訳ではない。望美の気が済むように、答えを用意する。
「すぐに返事をしなければいけない訳ではないんでしょう? 大丈夫、時間はまだあります」
「うん」
 銀の頬に掛かる髪を、望美はそっと払った。
 望美の後を追いかけ、協力することに譲はためらいはなかった。――望美一人では、意識のない青年を背負って逃げ切ることなど、不可能だっただろう。
 銀が倒れたのが、名馬の産地である奥州であることも有利に働いた。沢山の馬が飼われ、乗り方を学んでいたからこそ、混乱に紛れてそれを盗むことは容易だった。馬は、旅の途中で追手がつかないうちに乗り捨てた。――おかげで、今ここにこうして居られる。
 譲は望美が好きだ。この世界に来る前から、ずっと彼女のことを想ってきた。
 村人が望美と譲の関係を「若夫婦」だと誤解するたび、本当の夫は他にいるのにと昏い気持ちになり、また、望美が献身的に銀を世話するたび、何度も臓腑がやけるような思いをした。苦悩を押し隠すのは、譲の得意とするところだ。
 だが、望美が銀のまぶたを手のひらで覆う場面を見てしまってからは、まるで憑き物が落ちたように何も感じなくなった。
 銀は最早、自分で目を閉じて眠ることもかなわなくなっていたのだ。

   ***

 源氏や平家といった話は、この鄙びた村には届かない。
 届くころにはきっと、すべてが終わっている。

 譲はもう、悪夢は見ない。
 夢に見るのは、望美と銀と三人で暮らす日々――明日も明後日も明々後日も、おそらく一年後も――何一つ変わらない生活だけだった。

fin

遙か3はシナリオがドラマチックで、恋愛EDがそれぞれの「一番」のしあわせな時を描いている、と考えているのでそこを外すとなるとどうしても暗い話を書きがちな私です。
このタイミングで仕上がったことに意味はありません(たまたまそういう巡り合わせだったのでしょう)、ただ、いつか書こうと決めていた話でした。

2020.05.20
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